ヘッジファンド世界ランキング
(歴代の運用益の累計総額)

世界のヘッジファンド・ランキングです。運用開始以来の利益総額。2023年末時点(順位・金額の出典:英LCHインベストメンツ/運用会社評判の参考:スナップアップ投資顧問)。リーマンショックなどの金融危機を乗り越え、好不況に関係なく運用益を積み上げてきたファンドが上位を占めています。 1位はケン・グリフィン氏が率いる米シタデル。長年首位だった米ブリッジウォーターを2022年に追い越し、トップになりました。2位はDEショーとミレニアム。やはりアメリカ勢が圧倒的に強いです。

トップ10(2023年末時点)
順位 会社名 利益 説明

シタデル・インベストメント

(Citadel)

【米国】

シタデル・インベストメントのロゴ


ケン・グリフィン ▲ケン・グリフィン氏

740億ドル(1990年創業)

<2023年の運用益>
81億ドル

※2022年にレイ・ダリオ率いる「ブリッジウォーター」を追い抜いて世界1位になった。

本社:米マイアミ

運用資産総額:630億ドル(2024年6月時点)

投資戦略

裁定取引

転換社債などの裁定取引を得意とする。裁定取引の先駆者でもある。

創業者ケン・グリフィン

創業者はケン・グリフィン(Ken Griffin、正式名:ケネス・グリフィン)氏。1968年10月生まれ。若くして成功した天才ファンド・マネージャー(ファンマネ)として知られる。

ハーバード大学1年で「プット」で稼ぐ

名門ハーバード大学1年生のときに、大手通販会社の株式の下落を予想し、プット・オプションを購入。数千ドル(数十万円)を稼いだ。

転換社債の裁定取引に注目

その後、「転換社債」に興味を抱き、独学で勉強をする。転換社債のミス・プライシング(適正価格からの乖離)に的を絞った裁定取引のビジネスを始めることを決意する。

18歳でファンド創設

大学2年生になった1987年9月、18歳で友人や家族から26万ドルの資金を集め、ファンドを立ち上げた。当時住んでいた大学の寮での起業だった。

翌月の「ブラックマンデー」で大きな利益

運用開始の翌月、歴史的な「ブラックマンデー」の大暴落が起きた。グリフィン氏のファンドでは、相場下落に備えるため、ヘッジ戦略として株式の空売りを多めに行っていた。このため、ブラックマンデーでぼろ儲けできた。

卒業までに1億円以上を運用

ブラックマンデーでの成功を受けて、2つ目のファンドを立ち上げた。授業の合間に取引を行う。キャンパスの公衆電話で頻繁い売買注文を行っていたという。転換社債の全ポジションについて、転換社債やクーポンなどを記憶していた。常に紙と鉛筆、電卓を使って裁定取引に必要な計算を行っていたという。大学卒業の時点で運用額は計100万ドル(1.4億円)以上に達した。

初期は日本のワラントに集中投資

卒業後の1990年に会社を設立。米国の転換社債市場の魅力が薄れたため、日本の転換社債と株式ワラントの取引に全ての資金を投入する。

マルチ戦略へ

1994年に統計的裁定取引に参入。1995年にはリスク裁定取引を開始。やがて10以上の投資戦略をそろえる。複数の異なる戦略を組み合わせた「マルチストラテジー」のファンドが急成長した。

リーマン危機から復活

リーマン・ショック後の2008年末、2つのファンドについて投資家への償還を一時停止した。当時の運用資産は約180億ドル。経営不安説がささやかれた。しかし、その後、見事に復活した。  

AI技術を活用した取引システムを早くから採用。大量の市場データとアルゴリズム取引を駆使している。

シカゴからマイアミへ移転

本社は米マイアミ。2022年に創業地のシカゴから移転した。

グリフィンの趣味はサッカー。

DEショー

(DE Shaw)

【米国】

DEショーのロゴ


デビッド・ショー ▲デビッド・ショー氏

561億ドル(1988年創業)

<2023年の運用益>
42億ドル

本社:米ニューヨーク

運用資産総額:600億ドル(2023年12月時点)

投資戦略

クオンツ

「クオンツ投資の王者」と呼ばれる。「複雑な数学モデル」と「最先端コンピューター・プログラム」を使った取引が得意。

創業者デビッド・ショー

創業者デビッド・ショー(David E. Shaw)氏は、投資家であるとともに、コンピューター科学の学者である。会社名は、ショー氏のフルネームである「デビッド・エリオット・ショー」を略したものである。

コンピューター科学の学者

ショー氏は1951年3月生まれ。ロサンゼルス出身。1980年にスタンフォード大学で博士号を取得した後、ニューヨークのコロンビア大学の助教授になってコンピューター科学を研究した。

技術者としてモルスタへ

1986年にモルガン・スタンレーに入社。自動の自己売買チームの管理職(技術担当副社長)に就いた。

1988年に独立

1988年に独立して「DEショー」を設立。 自前のアルゴリズムで証券取引を行うヘッジファンドを立ち上げる。 最初は本屋さんが入居する小さな雑居ビルの2階に事務所を構えた。

ジェフ・ベソスら天才を集める

初期の従業員の大半は科学者、数学者、コンピューター・プログラマーだったといい、一流の大学から優れた人材をかき集めた。 これらの中には、後にアマゾン(Amazon)を創業するジェフ・ベソスがいた。取引プログラムのアルゴリズムを守るため、企業秘密が重視される風土がつくられた。

クオンツで大成功

DEショーは高速コンピューターと数学モデルを駆使し、市場のミスマッチや異常を見つけて売買を行う「クオンツ投資」で大成功する。「クオンツの王様」と呼ばれるようになった。

投資の一線から退く

ショー自身は2001年、日々の業務から退き、コンピューター生命科学の研究に専念。6人の幹部で構成する経営委員会に経営の業務を譲った。

米国「技術政策」の中枢を担う

ヘッジファンドで成功する傍ら、米国の「科学技術政策」の中枢を担ってきた。1994年にクリントン大統領の教育技術に関する諮問委員会の議長に就任。オバマ大統領時代にも、科学技術の顧問団のトップに選ばれた。

ミレニアム・マネジメント

(Millennium Management)

【米国】

ミレニアムのロゴ


イスラエル・イングランダー
イスラエル・イングランダー氏

561億ドル(1989年創業)

<2023年の運用益>
57億ドル

本社:ニューヨーク

運用資産総額:67億ドル(2024年6月時点)

創業者イスラエル・イングランダー氏

創業者はイスラエル・イングランダー氏(Israel Englander、通称:イジー・イングランダー)。1948年1月、ニューヨーク・ブルックリン生まれ。

ユダヤ系ポーランド移民の家族

両親はユダヤ系ポーランド人で、父方の家族はナチスのホロコーストによって全員殺された。両親は娘2人を生んだ後の1947年に米国へ移住。その翌年にイスラエルが誕生した。

高校時代に株投資

少年期から株式に興味を持ち、高校時代に売買を始めた。ニューヨーク大学を卒業後、ウォール街の銀行に勤務する。転換社債とオプションの取引を専門に手掛けた。

相棒はジョン・マルヘレン

1977年に独立して証券会社を設立。1985年には知人のジョン・マルヘレン氏と共に、投資会社を立ち上げた。カナダの金融系起業家の一族から、7500万ドルという当時としは巨額の出資を得た。

伝説的なトレーダー

共同創業者となったマルヘレン氏(John Mulheren)は、ウォール街の伝説的なトレーダーだった。25歳の若さでメリルリンチの上級部長に就任。ベアー・スターンズの子会社のCEOまで一気に上り詰めた。

映画「ウォール街」のアイバン・ボウスキーの部下

その後、大物投資家アイバン・ボウスキーのトレーダーとなる。ボウスキーは、映画「ウォール街」のモデルになった人物だ。

サヤ取りの帝王

ボウスキーは、短期で利益を上げる「サヤ取り売買(アービトラージ)」では第一人者だった。自ら「買収狂」の著書もある。M&A(企業の買収・合併)にからんだ内部情報を事前に手に入れ、株式取引で不法な利益を得たとしてSECに摘発された。

禁固3年の実刑と司法取引

ボウスキー(当時50歳)は1988年2月、禁固3年の実刑の判決を言い渡される。その際、自分の部下だったマルヘレンについて不利な証言を行う見返りに、量刑を軽くしてもらう司法取引に応じた。

ライフル不法所持で逮捕

その直後、マルヘレン(当時38歳)は警察に逮捕された。容疑は、自分の車の中に許可書のない半自動ライフルを隠していた武器の不法所持だった。

無罪判決

警察の調べでは、マルヘレンは、捜査に協力したボウスキーに対する報復として、ボウスキーを殺害する計画を持っていたとの疑いが持たれた。1990年に有罪判決を受けたが、翌年、控訴審で覆されて無罪となった。

54歳で死去

マルヘレン氏は双極性障害に苦しんだ。 2003年死去。死因は心臓発作。享年54歳。葬儀では、友人の歌手ブルース・スプリングスティーンが歌った。

最初の投資会社は早々に「解散」

話をイスラエル・イングランダー氏に戻そう。 共同創業者のマルヘレン氏がスキャンダルまみれになり、イングランダー氏の投資会社は評判が悪くなった。このため、1988年、早々に解散した。

すぐに再挑戦

翌年の1989年、イングランダー氏は別の知人とともに、「ミレニアム・マネジメント」を設立する。設立時の資金は3500万ドル。このうちイングランダー自身が500万ドルを出した。当初は苦戦し、共同創業者の知人は1990年に退社した。

1990年代に急成長

しかし、1990年代にミレニアムは大化けする。統計的な数量分析や基本的なロング・ショートの組み合わせ、買収対象企業の株価と入札価格の価格差を利用する「合併アービトラージ」などの手法を用いて、成長軌道に乗った。

ブリッジウォーター・アソシエイツ

(Bridgewater Associates)

【米国】

ブリッジウォーター・アソシエイツのロゴ


ブリッジウォーター・アソシエイツのロゴ



レイ・ダリオ ▲レイ・ダリオ氏

558億ドル(1975年創業)

<2023年の運用益>
▲26億ドル損失

本社:米コネチカット州

運用資産総額:1250億ドル(2024年6月時点)
※ヘッジファンドとして世界最大

投資戦略

グルーバル・マクロ

投資手法はマクロ経済を重視する「グルーバル・マクロ戦略」。景気や金融政策を重視しており、世界各地の株式・債券・為替などに投資する。

雨でも勝てる「全天候型」

別名「全天候型ポートフォリオ」とも言われる。経済には好況(晴れの日)、不況(雨の日)があるが、雨の日でも利益を確保しようという姿勢だ。本社は米コネチカット州の田舎の森の中にある

2023年に損失

本ランキングでは長年1位を走ってきたが、2023年に大きな損失を出し、順位を落とした。

創業者レイ・ダリオ

創業者はレイ・ダリオ(Ray Dalio)。1949年生まれ。イタリア系アメリカ人。サックス奏者の息子としてニューヨークで生まれた。

26歳で創業

ハーバード大学でMBAを取得した後、ウォール街の中堅証券会社に入社。商品先物取引を担当した。26歳のとき、ニューヨークのマンハッタンのアパートの一室でヘッジファンドを創業した。

「国際分散」の先駆け

設立当初から、先物取引で穀物や資源などの原材料を安定して調達する手法を企業に提案し、名を挙げた。アメリカだけでなく、海外の国の国債にもいち早く積極投資を行い、「国際分散投資」の先駆けとなった。

時代の先を読む

時代の先を読む力を武器に、運用資産を増やした。「経済はまるで機械のように規則正しく動く」という考え方を持っている。

リーマン・ショックを予見

的確な景気判断でも有名になった。リーマン・ショックを予言したことで知られる。世界同時株安が各ファンドを直撃した2008~2009年も投資利益を確保した。

旗艦ファンド

  • (1)「ピュア・アルファ」(1989年開始)
  • (2)「オール・ウェザー」(1996年開始)
  • (3)「ピュア・アルファ・メジャー・マーケッツ」(2011年開始)

動画→

エリオット・マネジメント

(Elliott Management)

【米国】

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ポール・シンガー ▲ポール・シンガー氏

476億ドル(1977年創業)

<2023年の運用益>
55億ドル

本社:米フロリダ州

運用資産総額:710億ドル(2022年時点)

世界最大の「物言う株主」

世界最大の「アクティビスト・ファンド」(物言う株主ファンド)。このファンド自身の名前が出ただけで、上場企業は身構える。日本の経営者やIR担当者にも恐れられている。

「ハゲタカ・ファンド」

一方で、「ハゲタカ・ファンド」としても有名だ。ポートフォリオの3分の1以上が破綻企業や破綻国家の証券(債券や株式)に集中していると言われる。創業者ポール・シンガーが弁護士出身なだけに、法定闘争も辞さず、不良債権を回収する。

本社はニューヨーク。現存する大手ヘッジファンド会社の中で、最古の歴史を誇る。

日本企業に「自社株買い」迫る

日本でも存在感たっぷり。2020年にソフトバンクグループの3%を取得。自社株買いを決行させ、大幅な株価上昇を招いたうえで、全株売却した。

TOB価格を吊り上げ

2020年の不動産会社ユニゾホールディングス(旧日本興業銀行系)をめぐる買収合戦では、株式を13%取得。TOB価格を吊り上げた後に売り抜けた。2023年には、大日本印刷の株式を5%近く取得し、自社株買いへと導いた。

創業者ポール・シンガー

創業者はポール・シンガー。1944年8月生まれ。1969年にハーバード大学院の法科(ロースクール)を卒業後、弁護士をしていたが、趣味でやっていた投資の世界に魅了されるようになった。

熱心な共和党支持者

会社名「エリオット」はシンガー氏のミドルネーム。共和党の熱心な支持者としても知られる。

アルゼンチン政府と闘う

シンガーといえば、何といってもアルゼンチン政府との対立が有名。2001年末にデフォルトしたアルゼンチンの債務返済をめぐり、米国で裁判を起こした。法廷闘争は長期にわたったが、2014年6月16日に最高裁で勝訴。アルゼンチン政府に13億3000万ドルの支払いを命じる判決を勝ち取った。

ソロス

(Soros)

【米国】

ソロスのロゴ


ジョージ・ソロス
ジョージ・ソロス氏

439億ドル(1973年創業)

<2023年の運用益>
解散済み

世界で最も有名なファンドマネージャーであるジョージ・ソロス氏のファンド。2013年に過度の規制を嫌って解散した。

ジョージ・ソロス氏

ソロスは1930年、ハンガリーのブダペストで、ユダヤ人弁護士の息子として生まれる。1944年にハンガリーがナチス・ドイツに占領されたときは14歳だった。

ナチス占領を生き延びる

地下室や屋根裏で息をひそめ、ユダヤ人狩りを生き延びた。この間「生き残る術(すべ)を父から学んだ」という。同時に、独裁政治への憎悪が心に焼き付けられる。

1956年、米国に移住

1947年、17歳で英国に渡り、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスを卒業。大学で哲学に強くひかれたが、生活のため装身具のセールスマンに。1956年、米国に移住。

1969年に「クオンタム・ファンド」

ニューヨークで証券会社のトレーダーとして経験を積み、1969年に独立。後の基幹ファンド「クオンタム・ファンド」の前身となるファンドをつくった。

自著の中で「まず生き残ること。それが私の信条だ」と語っている。ホロコーストを生き延びた体験が影響しているという。市場は間違う。自分も間違う。一度に損を取り返そうと熱くなりすぎてはいけない--。激しい浮き沈みの中で生き残り、巨富を積み上げてきた投機哲学は、日本でも支持を集めた。

伝説の「英ポンド売り」

大規模な通貨投資で有名になった。とりわけ1992年9月中旬の勝負は伝説になっている。イギリスが為替レートを維持することが難しいと読んだソロスは、史上最高規模と言われるポンドの浴びせ売りを断行。投入した額はざっと70億ドルといわれる。

中央銀行に勝つ

英国中央銀行のイングランド銀行は、必死で買い支えようとした。しかし、遅かった。他の投機筋も一斉に売りに同調。巨大な投機マネーに屈し、ポンドの事実上の切り下げに追い込まれる。ソロスはこの勝負で9億5000万ドルを手にした。

一躍有名に

ソロスは一躍世界中に名を知られる。以降、彼には「イングランド銀行を破たんさせた男」という形容詞がついて回ることになった。

アジア通貨危機

1997年にはタイの通貨バーツが売りまくられたが、この時もソロスの名が出た。タイは通貨防衛のため外貨準備を使い果たし、経済破たんに追い込まれた。マレーシアなども標的となり、アジアの通貨危機は連鎖的に広がった。

引退

ソロスは2013年、米SECからファンドとしての登録を求められたのを受けて、他人の資金を預かって運用する業務から引退。個人的な組織である「ソロス・ファンド・マネジメント」のもとで、自分自身と家族の資産だけを運用するようになった。

独裁者と闘い続ける

慈善活動家としても有名。冷戦時代にソ連・東欧の民主化グループに資金援助するなど、独裁政治と闘い続けた。 新ロシアのトランプ大統領に対しても、堂々と批判を浴びせた。

TCI(ザ・チルドレンズ・インベストメント・ファンド)

(The Children's Investment Fund/略称:TCI)

【英国】

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クリス・ホーン
クリス・ホーン氏



413億ドル(2004年創業)

<2023年の運用益>
120.9億ドル

創業:2003年

創業者:クリス・ホーン(Chris Hohn)=英国人

本社:英国ロンドン

【特徴】物言う株主

【日本での株式保有歴】電源開発、日本たばこ、東芝

2023年に年間ベースで世界1位の利益を稼いだ。その結果、累計の運用益でトップ10入りを果たした。

2007年、電源開発(Jパワー)の9・9%を保有する筆頭株主となり、経営提案を行った。しかし、エネルギー安全保障にかかわるという理由で外為法が発動され、2008年に撤退を余儀なくされた。当時の電源開発は大間原子力発電所(青森県大間町)建設計画を抱えており、国の原子力政策や電力安定供給への懸念が背景にあった。

2011年には日本たばこ(JT)の株主になった。安倍晋三首相宛てに公開書簡を送り、政府が筆頭株主のJTについて、内部留保を抱え込み過ぎることなく、株主に還元すべきだと訴えた。具体的な株主還元策として「世界の競合他社並みの自社株買い」と「大幅な配当性向の引き上げ」を挙げた。

クリス・ホーン氏

英国の庶民出身

創業者のクリス・ホーン氏(Chris Hohn)は1966年10月、英国サリー州の小さな町に生まれた。 父親は車の技術者、母親は事務員の中流家庭。 英国の大学に在学中、米ハーバード大でMBAを取得した。

36歳で起業

卒業後の2年間、ロンドンの投資ファンドに勤務し、 1996年に米ウォール街に本社を置くヘッジファンド「リチャード・ペリー」に転職した。 1998年にはロンドン事務所のトップに就任し、稼ぎまくった。36歳になった2003年に独立し、TCIを設立した。

離婚の慰謝料700億円

ハーバード時代に知り合った米国出身のジェイミーさんと結婚し、4人の子供(三つ子を含む)をもうけた。 2024年に離婚したときは、裁判所から慰謝料など約700億円の支払いを命じられた。

肉は食べない

ヨガ愛好家。肉は食べない。

バイキング・グローバル・インベスターズ

(Viking Global Investors)

【米国】

バイキング・グローバル・インベスターズのロゴ

アンドレア・ハルボーセン
アンドレア・ハルボーセン氏



409億ドル(1999年創業)

<2023年の運用益>
60億ドル

創業時(1999年)の資金:300億ドル

創業者アンドレア・ハルボーセン

ノルウェー軍の特殊部隊

共同創業者アンドレア・ハルボーセン(Andreas Halvorsen)はノルウェー人。 1961年生まれ。 海軍学校を卒業後、ノルウェー海軍のエリート特殊部隊(SAEL)に配属され、隊長となった。

タイガー・ファンドで出世

その後、渡米し、1990年にスタンフォード大学でMBAを取得。モルガン・スタンレーに入社。 「伝説のヘッジファンドマネジャー」として有名なジュリアン・ロバートソン率いるタイガー・ファンドに移籍した。 タイガーで経営委員会のメンバーまで上り詰めた。

「虎の子」の最大の成功者

1999年に独立。タイガーの同僚2人とともに、バイキングを設立した。 ジュリアン・ロバートソンの元部下でヘッジファンドを立ち上げた人物は多く、 業界では「タイガー・カブズ(虎の子)」と呼ばれるが、 ハルボーセンはその中で最も成功したと言われる。

80億ドルを償還

バイキングは2017年、投資家に80億ドルを償還した。ファンドを小さな規模へとリセットするためだった。

バウポスト・グループ

(Baupost Group)

【米国】

バウポスト・グループのロゴ

セス・クラーマン
セス・クラーマン氏



370億ドル(1983年創業)

<2023年の運用益>
38億ドル

創業時(1982年)の資金:2700万ドル

本社:ボストン。

バリュー投資

バリュー投資を徹底的に追求。 市場で過小評価されている割安な株を買う。「バリュー投資の父」と呼ばれる経済学者ベンジャミン・グレアムの教えを守ってきた。 とくにバリュー投資の基本的な考え方の一つである「margin of safety」(安全域)という尺度を重視している。

空売りをしない

「空売りをしない」という稀有なヘッジファンドである。長期投資派。

セス・クラーマン

創業者セス・クラーマン氏(Seth Klarman)は1957年5月、ニューヨークに生まれた。 伝統的なユダヤ人家庭だった。父親は経済学者、母親は社会福祉士。 6歳のときにボルチモアに転居。間もなく両親は離婚した。 小学生の時から新聞配達、かき氷売り、雪かきなどの商売に励んだ。 10歳で株を買い始めた。

コーネル大学を卒業後、ハーバード大学院MBAコースに進学。 修了した1982年、ハーバードの教授を含む5人でバウポストを設立した。 設立後は、主にクラークマンがファンドの運営を引き受けた。

バフェットの友達

クラーマンは、同じく「バリュー投資」を実践する大富豪ウォーレン・バフェット氏と個人的に親交が深い。 バフェットより27歳年下だが、多くの割安企業をバフェットに紹介したという。 バフェットのニックネーム「オマハの賢人」になぞらえて、「ボストンの賢人」とも呼ばれる。

ブルームバーグ端末を使わない

ブルームバーグ端末を使わないという。長期投資を基本としており、日々の値動き等には興味がないためだ。

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ファラロン・キャピタル

(Farallon Capital Management)

【米国】

ファラロン・キャピタルのロゴ

トム・スタイヤー
トム・スタイヤー氏



357億ドル(1987年創業)

<2023年の運用益>
26億ドル

創業:1986年

本社:米サンフランシスコ

トム・スタイヤー

敏腕弁護士の息子

創業者トム・スタイヤー(Tom Steyer)は1957年ニューヨーク生まれ。 父親は弁護士で、国際的な大手法律事務所のパートナーだった。 ナチスを裁くニュルンベルク裁判の検察官の一人。 ユダヤ教を実践しないユダヤ系。 一方、母親は教師で、キリスト教の聖公会派。

ゴールドマンの裁定取引部門

NYマンハッタンの中でも富裕層が多いアッパー・イースト地区で育った。 名門イエール大学で経済学と政治学を専攻し、卒業後はモルガン・スタンレーに就職し、2年務めた。 さらに、スタンフォード大学院でMBAを取得した後、2年間ゴールドマン・サックスに勤務した。 「リスク裁定取引」の部署に配属され、M&Aを担当した。 その後、設立されて間もない未公開株投資会社「ヘルマン&フリードマン」(本社:サンフランシスコ)の経営パートナーになった。

不良資産への投資で成功

1986年1月、28歳でファラロン・キャピタルを創業した。 不良資産(ディストレス証券)に対する高リスク投資で成功し、ファンドを急成長させた。 2012年、代替エネルギー促進活動に専念するため、ファラロンの経営から退いた。

大統領選に出馬

地球温暖化など環境面を重視した投資活動で知られる。ドナルド・トランプ大統領の現職時代、トランプを刑事訴追するためのキャンペーンを展開した。さらに2020年の大統領選では、トランプの再選を阻むべく、民主党の公認候補を目指して出馬した。

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ローン・パイン・キャピタル

(Lone Pine Capital)

【米国】

ローン・パイン・キャピタルのロゴ

ステファン・マンデル
ステファン・マンデル氏



356億ドル(1997年創業)

<2023年の運用益>
42億ドル

本社:米コネチカット州

運用資産総額:152億ドル(2023年8月時点)

投資戦略

株式のロングが基本。グロース企業に積極的に投資することで知られる。株価収益率(PER)が高い銘柄も買う。

2021年から2023年は公開株(上場株)への投資にシフトした。 しかし、2024年春から未公開株(非上場株)の買いを再開させた。

旗艦ファンド

「カスケード(Cascade)」
※ロング(買い)のみ
「サイプレス(Cypress)」
※買い&売り

ステファン・マンデル

創業者ステファン・マンデル氏(Stephen Mandel、スティーブン・マンデル)は1956年3月生まれ。コネチカット州出身。

1978年にダートマス大学を卒業。さらに、ハーバード大学院でMBAも取得した。

ゴールドマンのアナリスト

1982年、コンサル会社「マース・アンド・コー」に入社。1984年にゴールドマン・サックスへ転職。1990年まで小売り業界のアナリストを務めた。

タイガーの執行役員に

その後、著名ヘッジファンドのタイガー・マネジメントに入社。アナリストとしての勤務を経て、執行役員へ昇格した。

1997年に独立

1997年に独立し、ローン・パインを設立した。社名の「Lone Pine」(たった一本の松)は、母校・ダートマス大学にあった伝説的な松の木から名付けられた。この木は、1887年に稲妻の直撃を受けながらも、生き延びたという。2019年1月、会社の投資業務からは退いたが、経営者としては残った。

1982年、ハーバード大で知り合った女性と結婚。3人の子供をもうけた。

反トランプ団体に寄付

2020年、反ドナルド・トランプ大統領の政治団体「リンカーン・プロジェクト」に、100万ドルを寄付した。

動画(2021年)▼
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アパルーサ・マネジメント

(Appaloosa Management)

【米国】

アパルーサ・マネジメントのロゴ

デビッド・テッパー
デビッド・テッパー氏



350億ドル(1993年創業)

<2023年の運用益>
27億ドル

本社:米ニュージャージー州

運用資産総額:140億ドル(2022年12月時点)

投資戦略

破綻証券買い

倒産の危機にある企業の株式や社債を安く買いたたく。経営が立て直されたところで、高く売って大きなリターンを得る。いわゆる「ディストレスト(破綻証券)」と呼ばれる手法を得意としている。 また、債務危機にある国に対する「強気」の判断でも知られる。

デビッド・テッパー

創業者デビッド・テッパー(David Tepper)氏は1957年生まれ。 鉄鋼の町ペンシルベニア州ピッツバーグ出身。 ユダヤ系の家庭で育った。 優れた「映像記憶」の持ち主だった。 ピッツバーグ大学の在学中に投資を始めた。

ゴールドマンのジャンク債トレーダーに

1982年、地元の名門カーネギーメロン大学院でMBAを取得。鉄鋼会社の財務部門に就職。ボストンの投資ファンド勤務を経て、1985年にゴールドマン・サックスに入社する。「低格付け社債(ジャンク・ボンド)」部門に配属された。当時のウォール街では社債市場が活況を呈し、「ジャンク・ボンドの帝王」と呼ばれたマイケル・ミルケンが名をとどろかせていた。テッパー氏は入社から6か月足らずで筆頭トレーダーに就任。会社に膨大な利益をもたらし、社内で頭角を現した。

ブラックマンデー大暴落

1987年のブラックマンデーの大暴落では、存亡の危機に立った金融機関から、債券を格安で買いあさり、市況回復後に暴利を稼いだ。 ゴールドマンがブラックマンデーを生き延びられた理由の一つは、テッパー氏の活躍があったからだと評価されている。

パートナーになれず

ゴールドマンには8年間在籍。パートナーへの就任が有力視されたが、なれなかった。 不遜な態度が経営幹部に敬遠されたためだと言われている。

独立

パートナー就任が2回見送られた後の1992年12月、ゴールドマンを退社。 知人のオフィスを借りての自己売買で創業資金を蓄ええると、さっそく1993年にアパルーサを創業した。

通貨危機で勝利と敗北

1995年のアルゼンチンの通貨危機の局面で買いを断行し、巨額の利益を得た。また、1998年のアジアの通貨危機でも、韓国の国債をいち早く購入した。一方、1998年のロシア危機では、大きな損失を抱えた。

リーマンショックで荒稼ぎ

リーマンショックの金融危機の直後の2009年に、2.3倍もの収益を稼いだことで一躍有名になる。危機の直後に大手の銀行や証券会社、保険会社の株や債券を買いあさり、ぼろ儲けした。

動画(2021年)▼
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ポイント72

(Point 72/略称:SAC)

【米国】

ポイント72のロゴ

スティーブ・コーエン
スティーブ・コーエン氏



330億ドル(2014年創業)

<2023年の運用益>
30億ドル

創業:2014年

本社:米国コネチカット州スタンフォード

運用資産総額:314億ドル(2023年10月時点)

創業者:スティーブ・コーエン(Steve Cohen)=アメリカ人

スティーブ・コーエン

創業者はスティーブ・コーエン氏。2024時点で資産200億ドル(約3兆円)を超えた。

父親は服飾メーカーの経営主

1956年6月、ニューヨーク市郊外のロング・アイランド出身。 ユダヤ系の家庭に生まれた。 父親は服飾メーカーの経営主だった。

ウォール街で成功

1972年、名門ペンシルベニア大学のビジネス系大学院(ウォートン・スクール)でMBAを取得。 ウォール街の老舗投資銀行に就職した。 1992年まで勤務し、会社に巨額の利益をもたらした。

「SACキャピタル」設立

1992年に独立し、「SACキャピタル」を設立した。 SACはコーエン氏のフルネームのイニシャルである。 自己資金1000万ドルと、外部から1000万ドルでスタート。 短期売買で急成長した。

インサイダー事件

SACはインサイダー事件を起こし、2013年に有罪を認めて18億ドルの罰金を支払った。 ヘッジファンド業界で史上最大規模った。 運用業務からの撤退も命じられた。 コーエン氏自身の2年間、運用業務を禁じられた。

「ポイント72」設立

2014年に「ポイント72」を設立した。 当初は、ベンチャー・キャピタルを主力とした。

映画「ダム・マネー」の脇役

2021年、自分の元部下が起業したヘッジファンド「メルビン・キャピタル」に出資。 このファンドは「ゲームストップ」の株式の空売りで大失敗し、倒産した。 一連の騒動を描いた米国コメディ映画「ダム・マネー ウォール街を狙え!」において、コーエン氏は脇役キャラクターとして描かれた。

野球「メッツ」のオーナー

2020年、野球の大リーグチーム「メッツ」のオーナーになった。

24時間年中無休の取引所

2024年、初の24時間年中無休の取引所「24 Exchange」を、SEC(米証券取引委員会)に申請した。

動画
インタビュー(2004年)▼

PBSのドキュメンタリー▼
14

スカルプター・キャピタル・マネジメント

(Sculptor Capital Management)

旧称:オクジフ・キャピタル・マネジメント
(Och-Ziff)

【米国】

スカルプター・キャピタル・マネジメント

ダニエル・オク
ダニエル・オク氏



322億ドル(1994年創業)

<2023年の運用益>
23億ドル

創業:1994年

本社:米ニューヨーク

運用資産総額:340億ドル(2023年時点)

創業者:ダニエル・オク(Daniel Och)=アメリカ人

投資戦略

マルチ・ストラテジーなど

ダニエル・オク

創業者ダニエル・オク(ダン・オク)氏は1961年生まれ。 ユダヤ系。 ニュージャージーで育った。 ペンシルベニア大学の名門MBAスクール「ウォートン」を卒業し、1982年にゴールドマン・サックスに入社した。

ゴールドマンに11年勤務

ゴールドマンには11年間勤務した。 最初の配属先は裁定取引部門で、上司は後に財務長官となるロバート・ルービン氏だった。 その後、株式の自己売買部門のトップになった。

出版メディア王と共同で創業

1994年に独立し、オクジフ・キャピタル(現スカルプター・キャピタル)を設立する。 出版メディア王のジフ一族から1億ドルの出資を受け、ジフ家との共同経営という形でスタートした。

米リズム・キャピタル傘下に

2007年、ニューヨーク証券取引所に上場。 2019年3月にオク氏は会長職を退いた。 2023年、不動産投資を得意とする米リズム・キャピタルに買収された。

動画

講演(2009年)▼
15

ブレバン・ハワード

(Brevan Howard)

【英国】

ブレバン・ハワード

アラン・ハワード
アラン・ハワード氏



285億ドル(2000年創業)

<2023年の運用益>
4億ドル

創業:2002年

本社:英国領ジャージー島

運用資産総額:350~400億ドル(2023年6月時点)

創業者:アラン・ハワード=英国人

投資戦略

グローバル・マクロ

商品先物や通貨を含む多様な資産に投資する。

信賞必罰

トレーダーに対する徹底的な信賞必罰で知られる。 基準に満たない人は容赦なく解雇する。 このため、ブレバン・ハワードをクビになった後、他のヘッジファンドでスターになった人材も多いという。

攻撃的な引き抜き

他社からの積極的な引き抜きでも有名だ。 大手投資銀行や他のヘッジファンドから、 クオンツ・アナリストなどを遠慮なくヘッドハントする。

アラン・ハワード(Alan Howard)

創業者のアラン・ハワードは、英国のユダヤ系の家庭に生まれた。 理系の名門大学インペリアル・カレッジ・ロンドンを卒業(工学修士)。 ソロモン・ブラザーズでキャリアをスタートさせた。

クレディ・スイスの5人で創業

2002年、クレディ・スイス時代の同僚トレーダー4人とともに、 ブレバン・ハワードを創業した。

動画

対談(2024年)▼

過去のデータ

2022年末時点(運用益の累計)

順位 会社名 累計の利益 運用開始年
シタデル・インベストメント
(Citadel)

【米国】
659億ドル 1990年
ブリッジウォーター・アソシエイツ
(Bridgewater Associates)

【米国】
584億ドル 1975年
DEショー
(DE Shaw)

【米国】
519億ドル 1988年
ミレニアム
(Millennium Management)

【米国】
504億ドル 1989年
ソロス
(Soros)

【米国】
439億ドル 1973年
エリオット・マネジメント
(Elliott Management)

【米国】
421億ドル 1977年
バイキング・グローバル・インベスターズ
(Viking Global Investors)

【米国】
350億ドル 1999年
バウポスト・グループ
(Baupost Group)


【米国】
332億ドル 1983年
ファラロン・キャピタル
(Farallon Capital Management)

【米国】
331億ドル 1987年
10 アパルーサ・マネジメント
(Appaloosa)

【米国】
323億ドル 1993年
11 ローン・パイン・キャピタル
(Lone Pine Capital)

【米国】
313億ドル 1996年
12 ポイント72
(Point 72/略称:SAC)

【米国】
301億ドル 2014年
13 スカルプター・キャピタル・マネジメント
(Sculptor Capital Management)

旧称:オクジフ・キャピタル・マネジメント
(Och-Ziff)

【米国】
299億ドル 1994年
14 ザ・チルドレンズ・インベストメント・ファンド
(The Children's Investment Fund/略称:TCI)

【英国】
284億ドル 2004年

2021年末時点(運用益の累計)

順位 会社名 累計の利益 運用開始年
ブリッジウォーター・アソシエイツ
(Bridgewater Associates)
522億ドル 1975年
シタデル・インベストメント
(Citadel)
500億ドル 1990年
ソロス
(Soros)
439億ドル 1973年
DEショー
(DE Shaw)
437億ドル 1988年
ミレニアム
(Millennium Management)
424億ドル 1989年
ローン・パイン・キャピタル
(Lone Pine Capital)
422億ドル 1996年
エリオット・マネジメント
(Elliott Management)
393億ドル 1977年
バイキング・グローバル・インベスターズ
(Viking Global Investors)
380億ドル 1999年
ザ・チルドレンズ・インベストメント・ファンド
(The Children's Investment Fund/略称:TCI)
365億ドル 2004年
10 バウポスト・グループ
(Baupost Group)
347億ドル 1983年
11 ファラロン・キャピタル
(Farallon Capital Management)
326億ドル 1987年
12 スカルプター・キャピタル・マネジメント
(Sculptor Capital Management)

旧称:オクジフ・キャピタル・マネジメント
(Och-Ziff)
317億ドル 1994年
13 アパルーサ・マネジメント
(Appaloosa)
307億ドル 1993年
参考:スナップアップ投資顧問