ヘッジファンドの世界ランキングです。運用開始以来の利益総額をもとに順位を付けました。 リーマンショックなどの金融危機を乗り越えた「究極の勝ち組」や「最強のファンド」が名を連ねています。 好況・不況に関係なく、毎年コンスタントに安定した利益を積み上げてきた運用会社が上位になっています。 1位はレイ・ダリオが率いる米ブリッジウォーター、2位はジョージ・ソロス、3位は米シタデルです。


ヘッジファンド世界ランキング

累計利益(2018年末時点)

トップ10
順位 会社名 累計の利益 運用開始年 説明
ブリッジウォーター・アソシエイツ
(Bridgewater Associates)
578億ドル 1975年

世界最大のヘッジファンド。運用資産15兆円。マクロの景気や金融政策を重視しており、世界各地の株式・債券・為替などに投資する。その姿勢は「グルーバル・マクロ戦略」と呼ばれる。本社は米コネチカット州の田舎の森の中にある。

■ 創業者レイ・ダリオ

創業者はレイ・ダリオ(Ray Dalio)。ダリオはイタリア系アメリカ人。サックス奏者の息子としてニューヨークで生まれた。 ハーバード大学でMBAを取得した後、ウォール街の中堅証券会社に入社。商品先物取引を担当した。26歳のとき、ニューヨークのマンハッタンのアパートの一室でヘッジファンドを創業した。「経済はまるで機械のように規則正しく動く」という考え方を持っている。

設立当初から、先物取引で穀物や資源などの原材料を安定して調達する手法を企業に提案し、名を挙げた。的確な景気判断でも有名になった。アメリカだけでなく、海外の国の国債にもいち早く積極投資を行い、「分散投資」の先駆けとなった。

2008年前後に起きたアメリカの金融危機や欧州債務問題を予見するなど、時代の先を読む力を武器に、運用資産を増やしてきている。FRBなど世界の中央銀行からも注目されている。1991年からの年平均リターンは18%。

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ソロス
(Soros)
439億ドル 1973年

ジョージ・ソロスのファンド。ソロスは1930年、ハンガリーのブダペストで、ユダヤ人弁護士の息子として生まれる。第二次大戦が始まり、1944年にハンガリーはナチス・ドイツの支配下に入った。14歳の少年は地下室や屋根裏で息をひそめ、ユダヤ人狩りを生き延びた。 この間「生き残る術(すべ)を父から学んだ」という。同時に、独裁政治への憎悪が心に焼き付けられる。この経験から、後にソ連・東欧などの民主化グループに資金援助。設立した財団は30カ国以上に広がった。

1947年、17歳で英国に渡り、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスを卒業する。大学で哲学に強くひかれたが、生活のため装身具のセールスマンに。1956年、米国に移住。 ニューヨークで証券会社のトレーダーとして経験を積み、1969年に独立した。後の基幹ファンド「クオンタム・ファンド」の前身となるファンドをつくった。

自著の中で「まず生き残ること。それが私の信条だ」と語っている。ホロコーストを生き延びた体験が影響しているという。市場は間違う。自分も間違う。一度に損を取り返そうと熱くなりすぎてはいけない--。激しい浮き沈みの中で生き残り、巨富を積み上げてきた投機哲学は、日本でも支持を集めている。

ソロスは、大規模な通貨投資で有名。とりわけ1992年9月中旬の勝負は伝説になっている。イギリスが為替レートを維持することが難しいと読んだソロスは、史上最高規模と言われるポンドの浴びせ売りを断行。投入した額はざっと70億ドルといわれる。

英国中央銀行のイングランド銀行は、必死で買い支えようとした。しかし、遅かった。他の投機筋も一斉に売りに同調したのだ。巨大な投機マネーに屈し、ポンドの事実上の切り下げに追い込まれる。ソロスはこの勝負で9億5000万ドルを手にした。

ソロスは一躍世界中に名を知られる。以降、彼には「イングランド銀行を破たんさせた男」という形容詞がついて回ることになった。 1997年にはタイの通貨バーツが売りまくられたが、この時もソロスの名が出た。タイは通貨防衛のため外貨準備を使い果たし、経済破たんに追い込まれた。マレーシアなども標的となり、アジアの通貨危機は連鎖的に広がった。

ソロスは2013年、米SECからファンドとしての登録を求められたのを受けて、他人の資金を預かって運用する業務から引退した。現在は個人的な組織である「ソロス・ファンド・マネジメント」のもとで、自分自身と家族の資産だけを運用している。

シタデル・インベストメント
(Citadel)
307億ドル 1990年

創業者はケン・グリフィン。グリフィンは1968年10月生まれで、若くして成功した天才投資家として知られる。

1987年9月、ハーバード大学の2年生のときに、18歳でヘッジファンドを始めた。翌月のブラックマンデーで大きな利益を稼いだ。 大学卒業の時点で1億円以上を運用していたという。卒業後の1990年に自らの会社を設立。アメリカの転換社債のアービトラージを行った。

創業以来、「転換社債」「統計的エクイティ」「債券アービトラージ」などのレラティブバリュー戦略を重点に置いてきた。ミスプライスの資産を見つけて、リスクをヘッジすることを使命としている。

「イベント・ドリブン」の投資手法でも有名。合併・買収(M&A)、企業分割(スピンオフ)、業界再編などによって生まれる取引機会を見つける。企業のライフサイクル投資という視点も重視している。

「レラティブ・バリュー」「インベント・ドリブン・アービトラージ」などの新しい手法を早期から採用し、成功してきた。ダイナミックなポートフォリオを構成している。

本社は米シカゴ。グリフィンの趣味はサッカー。

DEショー
(DE Shaw)
291億ドル 1988年

「複雑な数学モデル」と「最先端のコンピューター・プログラム」を使った取引で知られる。 謎めいたファンド会社としても有名。本社はニューヨーク。

創業者デビッド・ショーは投資家であるとともに、コンピューター科学の学者でもある。 1951年3月生まれ。1980年にスタンフォード大学で博士号を取得した後、ニューヨークのコロンビア大学でコンピューター情報学を教えた経験を持つ。 1986年にモルガン・スタンレーに、自動売買部門の管理職の立場で入社。金融の道に入った。

1988年に独立。最初は本屋さんが入居する小さな雑居ビルの2階に事務所を構えた。 初期の従業員の大半は科学者、数学者、コンピューター・プログラマーだったといい、一流の大学から優れた人材をかき集めた。 これらの中には、後にアマゾン(Amazon)を創業するジェフ・ベソスがいた。取引プログラムのアルゴリズムを守るため、企業秘密が重視される風土がつくられた。

高速コンピューターと数学モデルを駆使し、市場のミスマッチや異常を見つけて売買を行うた「クオンツ投資」で大成功。「クオンツの王様」と呼ばれるようになった。 ショー自身は2001年、日々の業務から退き、コンピューター生命科学の研究に専念。6人の幹部で構成する経営委員会に経営の業務を譲った。

バウポスト・グループ
(Baupost Group)
274億ドル 1983年

空売りをやらないという珍しいポリシーで成長してきたヘッジファンド。バリュー投資を充実に実践し、市場で過小評価されている割安な株を買う。本社はボストン。

創業者セス・クラーマン(Seth Klarman)は1957年5月21日生まれ。 ニューヨーク出身。伝統的なユダヤ人の家庭で育った。 ハーバード大学でMBAを取得した後、ハーバードの教授を含む5人でバウポスト・グループを設立した。 バウポストという社名は、この5人のイニシャルを組み合わせたもの。設立後は、クラークマンが会社の運営を引き受けた。

「バリュー投資の父」と呼ばれる偉大な経済学者ベンジャミン・グレアムの手法を取り入れている。 グレアムは投資家ウォーレン・バフェットの育ての親としても知られる。 実際、クラーマンはバフェットと個人的に親交が深く、多数の割安企業をバフェットに紹介したという。

投資にあたっては、バリュー投資の基本的な考え方の一つである「margin of safety」(安全域)という尺度を重視している。

スカルプター・キャピタル・マネジメント
(Sculptor Capital Management)

旧称:オクジフ・キャピタル・マネジメント
(Och-Ziff)
262億ドル 1994年

買収アービトラージとインベント・ドリブン投資を得意とするファンド。 企業の合併・買収(M&A)や株式公開買い付け、委任状争奪戦、株主割当発行、LBO(対象となる企業の資産を担保とした借入金による買収)などを恰好の投資材料としている。マイナスを出さないことを得意とする。

創業者はダニエル・オク(ダン・オク)。オクは大学卒業後、ゴールドマン・サックスに入社し、「リスク・アービトラージ部門」「ディーリング部門」「米国株式部門」に配属された。 最初の上司がロバート・ルービン(後にクリントン政権の財務長官になる)で、大きな影響を受けたという。

ゴールドマン退社後、メディア事業家としてもしられるZiffファミリーが運営する「ジフ・ブラザーズ・インベストメンツ」を提携し、共同で「オクジフ・キャピタル・マネジメント(Och-Ziff)」を設立した。

ワンマン経営ではなく、組織力を重視している。トップダウンでなく、ボトムアップ型の意思決定システムが採用され、それぞれの部門が専門的な分析を行い、投資判断をするという。 一部の個人のカリスマ性よりもチーム力に重点を置いており、オク自身も創業以来「自分がいなくても存続できる会社」を目指してきた。2007年にNY証券取引所に上場。2019年3月にオクは会長を退いた。

ローン・パイン・キャピタル
(Lone Pine Capital)
259億ドル 1996年

株価収益率(PER)が高いグロース企業に積極的に投資することでも知られる。本社はコネチカット州。

創業者はステファン・マンデル(Stephen Mandel、スティーブン・マンデル)。1956年3月生まれ。1978年にダートマス大学を卒業。さらに、ハーバード大でMBAも取得した。1984年にゴールドマン・サックスに入社し、1990年まで小売り業界のアナリストを務めた。その後、著名なヘッジ・ファンドであるタイガー・マネジメントに入社。1997年に独立した。

社名の「Lone Pine」(たった一本の松)は、ダートマス大学にあった一本の松の木が、稲妻の被害を乗り越えたことから付けられた。2019年1月、会社の投資業務からは退いたが、経営者としては残った。

バイキング・グローバル・インベスターズ
(Viking Global Investors)
254億ドル 1999年

創業者はアンドレア・ハルボーセン(Andreas Halvorsen)。1961年、ノルウェー生まれ。海軍学校を卒業後、ノルウェー海軍のエリート特殊部隊(SAEL)に配属。隊長となった。

その後、渡米し、1990年にスタンフォード大学でMBAを取得。モルガン・スタンレーに入社。タイガー・ファンドに移籍した。そこで幹部まで上り詰め、重要な役割を果たした。1999年に独立した。

「伝説のヘッジファンドマネジャー」と呼ばれるタイガーファンドのジュリアン・ロバートソンの弟子だったことで知られる。数多くいるタイガー出身者の中で、最も成功したと言われる。

アパルーサ・マネジメント
(Appaloosa)
252億ドル 1993年

倒産の危機にある企業の株式や社債を安く買いたたく。経営が立て直されたところで、高く売って大きなリターンを得る。いわゆる「ディストレスト(破綻証券)」と呼ばれる手法を得意としている。 また、債務危機にある国への「強気」の判断でも知られる。本社はニュージャージー州。

創業者はデビッド・テッパー(David Tepper)。1957年、鉄鋼産業で栄えたペンシルベニア州ピッツバーグに生まれた。子供のころから、あらゆる情報を写真のように覚えることができるという卓説した記憶力を持っていたという。

地元の名門カーネギーメロン大学でMBAを取得。鉄鋼会社で働いた後、ゴールドマン・サックスに入社し、「低格付けの社債(ジャンク・ボンド)」部門に配属された。当時のウォール街では社債市場が活況を呈し、「ジャンク・ボンドの帝王」と呼ばれたマイケル・ミルケンが名をとどろかせていた。ここでトレーダーとして会社に膨大な利益をもたらし、社内で頭角を現した。

独立後は、1995年のアルゼンチンの通貨危機の局面で買いを断行し、巨額の利益を得た。また、1998年のアジアの通貨危機でも、韓国の国債をいち早く購入した。一方、1998年のロシア危機では、大きな損失を抱えた。

リーマンショックの金融危機の直後の2009年に、2.3倍もの収益を稼いだことで一躍有名になる。危機の直後に大手の銀行や証券会社、保険会社の株や債券を買いあさり、ぼろ儲けした。

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10 エリオット・アソシエーツ
(Elliott Associates)
251億ドル 1977年

世界最大の「アクティビスト・ファンド」(物言う株主ファンド)。または「世界最大のハゲタカ・ファンド」と呼ばれる。ポートフォリオの3分の1以上が破綻証券に集中していると言われる。現存する大手ヘンジファンド会社の中で、最古の歴史を誇る。本社はニューヨーク。

創業者はポール・シンガー。1944年8月生まれ。1969年にハーバード・ロースクールを卒業後、弁護士をしていたが、趣味でやっていた投資の世界に魅了されるようになった。自分のミドルネームから「エリオット」という名前をつけた。最初に運用した資産は家族や友人のものだったという。

シンガーといえば、何といってもアルゼンチン政府との対立が有名。2001年末にデフォルトしたアルゼンチンの債務返済をめぐり、シンガーはアメリカで裁判を起こした。法廷闘争は長期にわたったが、2014年6月16日に最高裁で勝訴。アルゼンチン政府に13億3,000万ドルの支払いを命じる判決を勝ち取った。

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