事業売却で不足分を確保
エンロンの再建計画では年金プランを終了させた後、第三者の民間保険会社に運営をすべて委託して、給付債務の支払いを続けることになった。委託する際に、エンロンは当初2億ドルしか拠出しない方針だったが、その後、事業売却が決まり支払いのめどがついた。
エンロンの確定給付年金の受給者は1万7000人。積み立て不足分をすべて埋めたうえで、年金を終了させる形になった。当時、不振航空会社が巨額の積み立て不足を抱えたまま年金を切り捨てていた。これが問題になっていた。
株式が紙くず同然に
もっとも、エンロンの従業員の多くは確定給付年金よりも、確定拠出年金(401k)や従業員持ち株制度(ESOP)に比重を置いてきた。これらはエンロン株を大量に保有していたが、経営破たんで株式が紙くず同然になり、大きな損失を被った。
有罪評決を下されたエンロン創業者のケネス・レイ元会長は2006年7月に急死した。休暇先のコロラド州アスペンで、心臓発作を起こした。64歳だった。
資源バブルで復帰
2004年~2007年ごろ、つまり、リーマンショック(2008年)まで資源バブルが起きた。それによって、エネルギー取引の高度なノウハウを蓄積したエンロン経験者が表舞台に復帰した。
実力のあるゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーを追撃しようと、クレディ・スイスやリーマン・ブラザーズなどが相次ぎ商品部門を強化した。そして、エンロン出身者を雇うようになった。
取引対象が温暖化ガス排出権にまで広がる
ドイツ銀行は商品先物などを専門とする販売チームを作り、個人投資家向けに商品指数に連動した投資商品などの販売を進めた。シャリア(イスラム法)に基づくイスラム金融独特のルールを踏まえた商品投資を顧客に提案し、膨張するオイルマネーを欧州のマーケットに引き寄せた。
商品取引の銘柄は原油や天然ガスだけでなく、温暖化ガスの排出権などにまで広がった。金融界のビジネスチャンスも拡大し、さらに周辺へ波及した。